【長文】ハーフリンガル矯正の適応症
過蓋咬合と上顎前突の併発ケースの治療期間の短縮には、歯根を確実に動かすためには表側矯正が良く、その次はハーフリンガルが良い
私の当院での今までの長い臨床経験から考える矯正治療希望の成人患者さんへのベターな方法は「ハーフリンガル」と考えます。ある程度の適応症の幅があり、審美的にも高い満足度があり、術者側としてもある程度治療予測ができるという一番、バランスのとれた治療方法だからです。これについて長文になりますが、詳しく一から説明をしていきます。
目次
実は取り扱いが少ない裏側矯正装置
現在、日本の矯正治療の装置は、
①表側ワイヤー装置
②裏側ワイヤー装置(リンガル矯正)
③マウスピース装置(インビザライン薬機法対象外)
この3つの装置が中心となっています。
その中でも、②と③の見えない矯正装置はここ数年で特に増加してきています。とは言っても、まだまだ①の表側装置が圧倒的シェアです。実際、みなさん矯正装置というと表側のワイヤーのイメージが最初にくると思います。
通常、矯正歯科医院では、割合はどうであれ、この3つの治療装置メニューを持っています。初診相談に来られる患者さんも、この辺はインターネットで検索してから来ますから、かなり知識を持っています。可能であれば、「人に気が付かれない」もしくは「取り外しができる」装置を希望するのが普通だと思います。
しかし、取扱いがあれば全ての医院で、裏側装置(リンガル矯正)とマウスピース型矯正(インビザライン・薬機法対象外)の治療を受けられると思われがちですが、実情は異なります。
「前歯をあまり下げなくても良ければインビザラインで治療できるよ」
「前歯のかみ合わせが深いので裏側装置の装着面積がないから表側装置を推奨します」
「早く終わるのは表側矯正装置だよ」
などの様々な内容で、メニューにはあるのですが、矯正歯科医師から積極的には勧められなかったという話は結構あります。せっかく、目立たない矯正装置を調べて、意を決して初診相談に行って、積極的には勧められなかったらショックですよね。。。
治療のゴールを把握する
ただこれは、歯科医師の経験数が少ないから遠回しに否定しているのではなく、逆に多くの今までの臨床経験から、どの歯並びのパターンが治りやすいかがわかっているからなのです。優秀な矯正歯科医師は、初診相談で口の中の歯並びを見て、頭の中ですぐに歯並びのゴール地点の映像が浮かんできます。そして、その場でルートや難易度を計算し、「現実的な治療なのか」までも感じ取る事ができます。その後の精密検査と診断は、相談時の頭の過程を検証するだけなのです。
この「頭の中の流れ」を言語化するのは専門的過ぎて難しく、患者さんの治療方法の理解との間にズレが生じてきてしまうのです。そして、各先生ごと治療のフィロソフィー(哲学)も異なりますから、同じ内容でも説明の仕方が全異なります。「なぜ私はこの治療装置が使用できないのか?」その答えを探しに何件も医院を回ってしまう事もあります。
そこで、私の治療方法を提案する際、一番チェックしている項目をできるだけわかりやすく説明して行きたいと思います。
キーワードは「歯根の移動量」です。
矯正治療は歯根を動かす治療
歯というのは口の中を開けて見える歯冠(しかん)と歯茎の中にある歯根(しこん)という部分に大きく分けられます。「一般的に歯並びが悪い」というのは見える歯冠の並びが悪い事です。並ぶスペースがないため重なりあったり、向きが悪く前に出ていたりするわけです。そして、この歯冠に矯正装置を装着して歯並びを改善します。
そこでポイントはこれです。
矯正治療とは、「矯正装置を使用して歯根を動かし歯冠の位置を治す治療」です。
ちょっと難しい内容なのですが、矯正治療は歯根を動かさないと何も変わらないのです。植木を移動させる時も根っこを移動させないと移動できないですよね。歯根を動かせば、歯冠も動くわけです。当然、歯根が動きずらければ、歯冠も動きずらく、治療の難易度も上がるわけです。
この歯根の位置、初診相談時にレントゲンを撮らなくもわかるのか?というと、私は「歯冠の傾き」と「歯茎の形」で大体位置の推測がつきます。後の精密検査でのパノラマレントゲンで確認しても大体予測どおりになります。
難しい歯根の動きとは圧下とトルク
矯正治療で歯根はどのようにして、新しい位置に移動するかというと、その鍵は「歯根膜」にあります。歯を支える骨である歯槽骨(しそうこつ)と歯根の間には、0.1mmほどの血管の薄い膜である歯根膜とよばれる組織があります。その中に歯根と歯槽骨の間には靭帯があって歯は固定されています。力をかけるとこの歯根膜に歯槽骨を新しく作り直す、歯骨細胞(はこつさいぼう)・骨芽細胞(こつがさいぼう)等が送り込まれ、歯槽骨が改造され歯根が動きます。
要するに骨の解体業者と建築業者みたいなものです。解体業者が壊した隙間に歯根が動き、反対側にスペースに建築業者が骨を作るのです。こうして歯根が動き歯冠が動くのです。この反応は3-4週間のサイクルです。
当然、作り直す歯槽骨の量が多ければ多いほど難しい治療という事になります。もちろん、治療期間もかかります。この移動量をある程度推測する事ができるのが、VTO(visual treatment object)です。これはセファロレントゲン上でトレースした前歯と奥歯を動かして、理想的位置にはどれくらい移動が必要か計算する図になります。治療前後の重なっている面積が少ないほど、移動量が多くなります。
このVTOでは歯の動かし方も分かります。歯根の主な移動の仕方には、倒し込む動作である「傾斜」・歯茎側に沈める「圧下」・歯冠を動かさず歯根の先だけ動かす「トルク」という様式があります(他にも挺出・回転等がありますが省きます)。この移動様式の中で容易なのは「傾斜」で、難しいのは「圧下」と「トルク」です。
症例数を重ねていくと、この歯の動きのイメージがパッっと口の中を見て推測できるようになります。これを言葉にするのは難しいのですが、道路の電柱を想像してみましょう。電柱は、上層部に電線がついており地上部と、アンカーと呼ばれる倒れないようにするために地面に埋まっている支柱部分があります。
台風などの強い風を受けたり、電線が強く引っ張られると、斜めに倒れてしまいます。これが「傾斜」という状態です。その後、倒れた電柱を起こしたり、地上部に出てしまった部分を地面に沈めたりするのが「トルク」や「圧下」の動き方に近い感じです。
当たり前ですが手間がかかるのは電柱を倒す事より補修の方ですよね。倒れた電柱は複数のロープをかけて引っ張るのですが、様々な方向から力を計算して、ピッタシではないときれいに起きあがらないからです。ましては地上に出た部分を上から押すのはもっと難しいと言えます。
矯正治療でも一緒です。歯を起こしたり、沈めたりするのは難しい作業なのです。歯根に直接ワイヤーをかけて引っ張る事ができたら容易なのですが、現実的には不可能なのです。歯冠にワイヤーをかけて、さぐりさぐりで歯根をテコの力で動かすしかないのです。なんとももどかしい感じですね。
傾斜移動は簡単で治療期間が短い
今までの話をまとめると歯を倒すだけの「傾斜」で治療が完了してしまうケースは簡単であるというわけです。それに対して「圧下」や「トルク」が多い場合は難しいケース、もしくは難しい治療計画という事です。
歯冠の部分は同じ移動量でも「傾斜」だけの移動と、「圧下」や「トルク」が必要な移動では、臨床の感覚としては3倍以上移動スピードが異なります。傾斜移動が中心だと治療期間が1年で終わる事もあります。しかし、難しい移動様式が含まれている治療が3倍の3年もかかる事もあるというわけです。
もし治療方針が選べるとしたら、私は間違いなく傾斜移動中心の1年で終わる方針を選んだほうが良いと思います。人の時間は有限ですから、治療期間は3年を超える事は、その分、治療で得られる物が大きい場合のみにです。
一般的にはこの「圧下」や「トルク」が必要とされる歯並びは「上顎前突」と「過蓋咬合」が併発している症例です。上の前歯が前に出ていて、下の前歯が上の歯茎ギリギリを噛んでいる状態です。これは、歯根を歯茎側に沈めながら後ろに移動しなくてはならないため、多くの「圧下」と「トルク」が必要になるからです。治療期間も長くかかりやすいです。
どちらかと言うとエラが張っているようながっしりとした下顎や、前歯の歯根の長さが短い場合は、さらに難易度の高い症例になります。これらのケースは、矯正力が歯根に伝わりにくく歯の移動スピードがゆっくりの症例だからです。
逆に、同じ上顎前突(出っ歯)でも、どちらかと言えば「開咬」と呼ばれる上下の前歯がぶつからず、面長のお顔であれば、治療は容易なケースとなるわけです(ただし後戻りを防ぐのが難しい)。もちろん年齢が若い方がコンディションも良く歯の移動には有利です。
使用する矯正装置で歯の動き方が違う
では、使用する治療装置によって、得意・不得意はあるのかというと実はあります。表側装置・裏側装置・マウスピース装置、は全て同じ歯の動き方をする訳ではありません。特に前歯の歯の動き方を中心にみると、圧倒的に表側装置が、術者が操作しやすく、様々な方向に力をかける事ができるため有利です。
それに対して、裏側装置やマウスピース装置の歯の動き方には制約があります。それは「傾斜」を中心とした移動になりやすいという事です。
矯正装置の歯根を動かす力は、てこの原理のようなものです。本当は抵抗中心と呼ばれる歯槽骨の中の歯根の中心点をに矯正装置つけて直接、歯を動かすのが効率的です。しかし実際はできないため、歯冠側から計算した「てこ」の力を利用して歯を動かす事になります。
特に前歯に関しては、この「てこ」の力を一番かけやすいのは歯の裏面ではなく表面なのです。そして、取り外し式ではなく固定式の持続的な力なのです。ですから、表側装置が「圧下」や「トルク」といった歯根の移動量が多い場合には圧倒的に有利なのです。という事は、結果的には表側装置が一番、適応症が広いという事になります。
では、裏側装置(リンガル矯正)やマウスピース装置(インビザライン・薬機法対象外 )がダメなのかというと、そういうわけではありません。どちらも、矯正力は表側装置と比較して弱く、「傾斜」には効率的でコントロールがしやすい装置と言えます。
ハーフリンガルは適応ケースの幅が広い
表側装置が適応が多く良いという事は間違い無いのですが、多くの成人の矯正希望患者さんは、目立たない矯正装置を希望しています。ここで、歯科医師サイドの適応症の判断と、審美装置希望の患者さんサイドの間にギャップが生じてしまいます。
この問題を解決するには、どちらも1歩、歩み寄った治療装置を選択するのです。その着地地点が、上のみ裏側装置、歯根のコントロールが難しい下には表側装置にする「ハーフリンガル」なのです。
ハーフリンガルは一般的に裏側装置(リンガル)やマウスピース矯正(インビザライン)に適応症ではないケースもある程度まではカバーする事ができます。イメージとしては、難しい症例だったとしても、上の歯並びの多少のコントロール不足を下の歯並びを表側で確実に動かしてカバーするという方法です。上下表側矯正よりやや操作性の面では劣りますが、目立たない矯正治療を希望の方の場合は、ある程度の結果を出す事ができると言えます。
多くの裏側装置やマウスピース型矯正が向いていないケースは「上顎前突」と「過蓋咬合」が併発した症例です。このケースは前歯の歯根の移動量も多く、治療期間も長くかかります。特に過蓋咬合が重度の場合は期間をかけても全く改善しないという事もあります。
ハーフリンガルの下の表側ワイヤーによりコントロールをする事で、過蓋咬合を早期改善し、治療期間を短縮するのに有効と言えます。また、前から見た時に下の前歯はほとんど見えません。患者さんの矯正治療をしている事を気がつかれたくないという要望もハーフリンガルは満たしてくれます。
ハーフリンガルは、歯科医師と患者さんの両方の希望を解決してくれるWINWINの方法です。多くの患者さんは治療中の生活を満足してくれています。ハーフリンガルには「表側矯正」・「裏側矯正」・「アンカースクリュー矯正」の3つの知識が必要であり、熟練歯科医師が行う治療となります。当院では、開院以来、多くのハーフリンガル治療にあたり、ノウハウの蓄積とシステムの構築ができております。是非他院で治療を断られた方もご相談下さい。